差別か多様性か
「多文化共生」という点からフランスを見たとき、言葉の美しいフランスでものすごく気になる点がある。それは、ダンスのクラス内などで「ちょっとそこの人たち、話聞いてる?」みたいなことをいうとき、それが女性なら"Filles,(女子たち)",男性なら"Garçons!"(男子たち) と固有名詞化すること。こんなに、LGBTについて理解のある国で、生活の中では男女を気にしないというか、性別は関係ない、というような空気なのに、先生が毎日のように「そこの男子、女子」と性別で人を呼ぶのを聞くのは、なんだか不思議な感じがするの。これは、handicapé (障がい者)や Immigré (移民)に対してもおんなじことで、学校の大人のクラスの中にいるこのような人たちについて、クラス外で話をするとき、彼らのことを名前ではなく、固有名詞で呼ぶんだよね。彼らの意識の中で明らかに自分とは違う種類の人間、というのが見えて、側で会話を聞いていて少し心が痛くなるのも確か。そういえば、こちらに来たての頃、私も、"une japonais "と他人の会話の中で言われているのを聞いて「いや、名前で呼んでよ!」って思ったのを覚えてる。
生粋のフランス人の中にある無意識の差別意識が少し見える。
人種によって店員さんの態度が変わったりするのも、見たり経験したりしたよ。
責めてるわけじゃなくて、何がそうさせるのか、心理学的に、社会学的に、いろんな要素があるんだろうけど、読んでくれてる人に、そして私も、考えてみるきっかけとして受け取りたい。
フランスのことは遠い話かもしれないから日本社会に置き換えて考えてみよ。
どうかな。外への意識がまだ低い日本で、外国人を特別扱いするのは、今はまだナチュラルな現象といっても仕方がないけれど、その特別扱いが、「差別、軽蔑」になる前に、「おもてなし、尊敬」によるものになるように、私にできることしていきたいな、、、なんて思いながら、色々フランスと日本の社会の、光と陰について考えてた。考えすぎ症候群。ははは〜。
話は少し戻るけど、性関連で最近びっくりしたのは AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の公式ビデオのかなり目立つ場所で、レインボーフラッグが振られていること。これは意図してなのか、たまたまなのか。。。誰か知っている人いたら教えてね。 ちなみに気づいたのは私ではなく、フランス人の友達。さりげなく、こういうところで気づく、というのが社会の中で性に関する問題や多様性について議論が繰り広げられ、受容されている証拠なんだな、と思う。
まだまだジェンダーや人種に関するトピックについてじっくり思考を巡らしてみたいなぁ
そしてそういうことを普通に言葉にして会話しても違和感のない空間はどう存在してるのかな、日本では、となかなか考えに考えて止まらなくなってる。。。
なんとか生きてるよー
て言っても、このブログ、誰か見てくれてる人いるのかな?
話さない私の話の脳内メモみたいになってるかも。
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